いきあたりばったり

希望をもちたい

読んだ本の記録

ここ半年くらいで、自分が今まで持っていた人付き合いへの固定観念を、少しいい感じに更新できた気がするので、きっかけとなった本とあわせて、最近読んだ本について印象的だった部分を抜き出しつつ、以下に残しておきます。

  • 朴沙羅 『ヘルシンキ 生活の練習』筑摩書房 2021
    きっかけとなった本。社会学の先生が、子供と一緒にフィンランドへ移住した体験記です。専門書とエッセイの間くらいの本で、読みやすかったです。
  • 瀧本哲史 『君にともだちはいらない』講談社 2013
    仕事において仲間を作ることの必要性、良いチームの作り方・機能のさせ方など説明しています。タイトル買い。勢いのある文体で、わかりやすく、読みやすかったです。

ソサエティに入りましょう / 仲間をつくる

2冊の本はジャンルは違うけれど、同じことについて書かれていて、それは、まずは自分と集団との関係を作りましょうということだと思う。その関係において大事なのは、集団に目的があること、関係において主は自分であって関係性ではないという点だ。

ソサエティに入りましょう」というアドバイスは、「ママ友を作りましょう」というアドバイスと少し違う。ママ友を作りましょう、という提案だと、実際に友達を作るのは私の自己責任のような気がする。でも、「ソサエティに入りましょう」という提案は、私とその「ママ友」なる人との一対一の関係を想定していない。私の都合によって入るのも出るのも自由な緩い団体が複数あり、個々人は行きたいときにそこに行くだけだ。(中略)友達だから一緒に遊べるのではなくて、一緒に遊ぶ人を(そのとき、その場で)友達と呼ぶのか。その発想は私にはとても新鮮だった。

朴沙羅 『ヘルシンキ 生活の練習』

私が「フィンランドで出会う人たちはみんなとても自分のペースを大切にするから、ソサエティを作るのは不思議だ」と言ったら、ライヤさんは「自分の好きなことを友人とやるのは最高。誰とやるかも大事だが、一番大切なのは何をやるかで、誰と一緒にやるかというのは2番目に大事。自分のやりたいことを自分がやる、その気持ちを同じくする人とやるから楽しい」(中略)人間関係が先にあるのではなく、遊ぶことが先にある。その後、それを共有する関係を作る。個人の「やりたいこと」が基本単位である場合、人間関係は意図して作らないと手に入らない。というわけで、みんな寂しいからクラブを作り、やりたいことをする。

朴沙羅 『ヘルシンキ 生活の練習』

仲間をつくるために、仲間を探すのではない。
まず最初に目的があり、そのために仲間を集めるというのが正しい順番のはずだ。(中略)
しかし私は、仲間というのは当初の目的を達成し、互いに必要とする時期が終われば、離れるのが自然だと思っている。いつまでもずるずると仲間意識をひきずり、「仲良しごっこ」を続ける関係には、意味がないのだ。

瀧本哲史 『君に友達はいらない』

友達について、幼い頃自分がどのように教育を受けたか覚えていないのだけれど、上記のような思想ではなかった気がする。著者がとても新鮮だった、と書いているのと同じように、私もとても驚いた。そういうのもあるんだと思った。
場に一人で参加してもいいこと、参加することで一人ではできないことができること、参加は任意であること、そのため参加しないことも認められること、いろんな集団に出入りする自由があること、自分のしたいことを優先すればいいこと、その上で何かを人とすることは楽しいということ、そんなことを理解できていれば、おつきあいがもう少し気楽に構えられるような気がする。選択肢があり、自分で選択できることは、生きやすくするためには欠かせないんだよね。

習得できる技術である

他にも驚いたのは、フィンランドの幼児教育では、性格・性質とされがちなものを技術とみなし、能力の有無ではなく技術の習得だととする考え方です。

私は、思いやりや根気や好奇心や感受性といったものは、性格や性質だと思ってきた。けれども、それらは、どうも子供たちの通う保育園では、練習するべき、あるいは練習することが可能な技術だと考えられている。
(中略)そして、そのスキルを身につける必要があると感じるなら、練習する機会を増やせばいいことになる。
朴沙羅 『ヘルシンキ 生活の練習』

自分にあった範囲で、自分にあった方法で訓練していけばいい。反復練習で何かを身につけていくのは、楽しい作業だと思う(私は好きです)。あとこの考え方を知ったことで、自分ができないことを、自分の人格に求めることが少なくなった気がする。

そんな私だからこそ、いま書店に並んでいるような、人脈や仲間づくり、チームビルディングをテーマとした本を読んでみると、違和感を感じざるを得ない。「これはある程度、生まれついて社交的な人、積極的な人を前提に書いてあるな」と感じてしまうのである。(中略)それと同じことをやっても、他の人が同様に効果があるとは言えないだろう。コミュニケーションとはきわめて属人的なものだからだ。

瀧本哲史 『君に友達はいらない』

そもそも一つの型があるわけじゃないんだし、と思うようになりました。苦手な人だってやったっていいよね。

まとめ

学生時代はクラス替えの度に大変だったな、という覚えがあって*1、(最終的には周りに恵まれててなんとかなってきたけど、それでも)私は人とのつきあいに対して難しさを強く学習してしまったんだなと認識できました*2*3
自分の中の思い込みに気づいていい感じに認識を更新できた結果、行動に移すことのハードルが思った以上に下がりました。なにかコミュニティにも参加してみたいなと思うようになっただけで、だいぶ進歩だと思う。やればできると思えることは、やっぱり私にとってはとても大事なことです*4。書き出した部分はもちろんほんの一部で、他にもハイライト*5した面白い部分はたくさんありましたが、ちょっと書ききれなかったです*6

フィンランドのものの捉え方がとても合理的で、国によっていろいろだなぁと(当然のことなのだけれど忘れがちなことを)改めて思って、多様性が大事っていうのが少し実感できた気がする。他の国の話も色々と読んでみることにします。

 

*1:クラス替え運が本当になく、仲のいいグループで一人だけ別のクラスになることがざらにあった

*2:これは、年代とか性別とかにもよるのかもしれない、私の頃は女の子の友達付き合いは、割と親密さが求められていた気がする。環境にもよるだろうから一概には言えないけれど

*3:なぜかここの段落だけフォントが違う気がする、でもうまく直せない

*4:そのあとやるかやらないかはまた別の話になってしまうのだけれど。わかったからいいや(問題は解決!)、というやつです

*5:多分kindleのハイライトをコピペできるはずだけれど、今回は活用できていない。エクセル手打ち的なそういうとこダメなのはわかっているのだけど。いい感じにやりたい

*6:この文章を書くのに3日+見直しがかかっている、これ以上書くと永遠に書き終わらない気がして怖い。終わらせることが何より大事だ